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静岡地方裁判所 昭和62年(わ)107号 判決

主文

被告人を罰金八万円に処する。

未決勾留日数のうち、その一日を金四、〇〇〇円に換算して右罰金額に満つるまでの分を、その刑に算入する。押収してある実包一一発(分解済のもの三発。昭和六二年押第六〇号の3の1ないし5)、銃用雷管一一〇個(同号の4の1、2)及び無煙火薬一缶(同号の5の1)を没収する。

訴訟費用中、証人角野勝明、同夏目敏孝、同平林忠一、同永田雅晧、同鈴木利政、同竹内敏直、同竹野昇、同増田饒、同山村良夫及び同白鳥良香に支給した分は被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、法定の除外事由がないのに、昭和六二年二月一四日午前七時四八分ころ、静岡県焼津市小土一一六九番地所在静岡県焼津中央高等学校教職員住宅四号室において、火薬類である無煙火薬約四〇七・九グラム(昭和六二年押第六〇号の5の1。一部鑑定費消)、猟銃用実包一一発(同号の3の1ないし5)、銃用雷管一一〇個(同号の4の1、2)を所持したものである。

(証拠の標目)(省略)

(弁護人らの主張に対する判断)

一、弁護人らは、種々主張しているので、まずその前提となる事実関係を明らかにする。

前掲証拠によれば、以下の事実が認められる。

被告人は、昭和三五年三月、明治学院大学文学部英文学科を卒業し、同年四月、静岡県立相良高等学校教諭となり、間もなく青木良子と婚姻し、昭和四二年四月、同県立袋井商業高等学校教諭に転任し、同年一〇月、袋井市高尾所在の同校の教員住宅に移り住んだ。

被告人は、昭和四三年九月九日、静岡県公安委員会から猟銃所持許可を得て、猟銃を購入し、クレー射撃を始め、これに用いる既製実包及び手詰めの実包を作るための無煙火薬、雷管、実包製造用具を所持するに至ったが、一、二年でクレー射撃に対する興味が薄れ、猟銃所持許可の更新時期である昭和四八年八月三〇日、猟銃の所持許可を喪失し、猟銃を手離した。被告人が実包等を所持した際、如何なる手続をしたか記録による確認はできないけれども、狩猟免許は取得していないので、火薬類取締法一七条一項の許可を受けて購入したものとみられる。

その後、被告人は、残火薬類を処分しないまま過ごし、昭和五五年四月、同県立焼津中央高等学校に転任するため、同年三月、判示の同校教職員住宅に転居したが、その三年位前ころから妻と別居状態であったため、引越のための準備は、被告人一人で行った。

判示犯行日の昭和六二年二月一四日午前七時一〇分ころ、静岡県警察本部の警察官ら九名が、東京簡易裁判所裁判官の発付した被疑者不詳に対する爆発物取締罰則一条違反等被疑事件の捜索差押許可状に基づき、右教員住宅の捜索に着手し、結局その令状に基づく押収すべき物件は何も発見するに至らなかったが、捜索中の同日午前七時四八分ころ、同住宅一階台所の物入れ内に置かれた発泡スチロールの容器内から、判示火薬類を発見し、同日午前八時九分ころ、被告人を右火薬類を不法に所持した火薬類取締法違反の現行犯として逮捕し、その現場における捜索差押として判示火薬類を押収した。

右押収時、本件火薬類は、実包一一発については、二発ずつのもの四包み、三発入りのもの一包みの合計五包みに小分けされて、ハンカチあるいはガーゼに包まれ、右五包みがビニール袋に入れられており、雷管二箱(合計一一〇個入り)は、タオルに包まれ、これらが底にタオルを敷いたあられのブリキ缶内に入れられ、ふたがされた上から、ガムテープが一周巻かれてふたが固定されていた。また、無煙火薬約四〇七・九グラムは、ビニール袋に包まれ、茶筒に入れられた上、テーブルクロスで包まれていた。

右のあられ缶とテーブルクロスに包まれた茶筒は、発泡スチロール製の四角い容器の下の方に並べて収納されており、容器の上にふたはなく、容器の外側には、容器を運搬した際に用いたとみられるガムテープ片が三方に残り、他の一方にはガムテープの跡があって、底部には、全体をロープで縛ったと見られる痕があった。

判示火薬類の製造時期は、手詰め実包の薬きょう部分については昭和四一、二年以前のもの、既製実包一〇発については少なくとも昭和四七年以前のもの、雷管ケースは二種類あるが、いずれも昭和四五年以前の会社名が表示されており、被告人の述べる入手形態に符合する。

以上の事実が認められる。

二  弁護人らは、被告人の本件火薬類の所持が、火薬類取締法二一条に違反する所持であることを否定し、(一)一七条一項により火薬類譲受の許可を得た者が、適法に入手した火薬類を所持することは、二一条三号により適法であり、二二条に定める「その火薬類を消費することを要しなくなった場合」が生じたときから「遅滞なく譲り渡し、又は廃棄しなければならない義務」が生ずるが、「消費を要しなくなった場合」というのは、「譲受の目的を失った場合」と同視すべきでなく、猟銃の所持を失ったとしても、再取得の可能性がある限り、当然に火薬類を「消費することを要しなくなった場合」に該当するとはいえないから、被告人が、当時使用していた猟銃を昭和四八年八月三〇日警察に返納した事実のみをもって、「消費を要しなくなった場合」に該当するとみるのは早計である。(二)被告人は、クレー射撃をやめ、ほどなく火薬類を梱包して押し入れにしまい込んだ後は、その存在を失念し、昭和五五年三月の引越時にも認識せず、本件捜索により発見されるまで、その存在を認識したことはなく、二一条違反の罪については勿論のこと、二二条違反の罪についても犯意がない。(三)仮に火薬類の存在につき認識する機会があったとしても、二二条に該当する余地が生ずるのみで、二一条違反とはならない。二一条八号は、「火薬類を所持することができる者が、次条の規定に該当し、譲渡又は廃棄をしなければならない場合に、その措置をするまでの間所持するとき」を火薬類所持禁止の除外事由と定めているから、一七条一項により適法に火薬類を譲り受けた者がその消費を要しなくなった場合に、譲渡又は廃棄の措置をするまでの間は、「遅滞なき」措置を怠って相当期間が経過しても、その火薬類が、「措置未了の状態」と評価されうる限りは二一条違反にならない旨主張する。

そこで、まず火薬類取締法二一条と二二条の規定をどのように解釈すべきであるか検討する。

火薬類取締法は、昭和二五年法律第一四九号として公布され、同年一一月三日から施行されているものであるところ、二一条は、四号中の一部の改正があるのみであるのに対し、二二条は、大幅な改正がなされているので、まず、制定時の両条の規定をみることとする。

二一条(所持者の範囲)は、火薬類は、法令に基づく場合又は一号ないし九号のいずれかに該当する場合の外所持してはならないと定め、所持の許される者として、一号で「製造業者等」を、二号で「販売業者」を、三号で「一七条一項の規定により火薬類を譲り受けることができる者」を、四号で「輸入許可を得た者」を、五号で「運送等を委託された者」を、六号で「相続等により所有権を取得した者」を、七号で「法人の合併により所有権を取得した者」を、九号で「一号ないし八号に掲げる者の従業者」を規定し、これらの者が所持するときを除外している。そして、八号は、「火薬類を所持することができる者が、次条の規定に該当し、譲渡又は廃棄をしなければならない場合に、その措置をするまでの間所持するとき。」という規定であり、二二条の考察なしには理解できない規定となっている。

二二条(残火薬類の措置)の制定時の規定は、「製造業者若しくは販売業者が、第八条若しくは第四四条の許可の取消その他の事由により営業を廃止した場合又は火薬類を消費する目的で第一七条第一項の規定により火薬類の譲受の許可を受けた者が、その火薬類を消費し、若しくは消費することを要しなくなった場合において、なお火薬類の残量があるときは、遅滞なくその火薬類を譲り渡し、又は廃棄しなければならない。」というものであって、これを二一条の規定と対比するならば、二一条一号の製造業者及び二号の販売業者が営業の廃止をした場合と三号のうち火薬類の譲受の許可を受けた者が、その火薬類を消費することを要しなくなった場合における残火薬類の措置義務を定めたものであることが明らかである。ここに、残火薬類の措置義務を定めたのは、営業を廃止した業者が、火薬類をそのまま放置するときは、公共の安全を確保し難いからであると解され、一七条一項の規定により火薬類の譲受の許可を受けた者においても、二二条に該当するには、単に火薬類を放置することで足り、積極的な所持を要求していないことは、条文規定の体系上明白である。

そして、右の二一条八号の規定の存在理由を二二条の規定との関連で考察すると、四四条により製造業者又は販売業者が許可を取消されたときには、製造業者或いは販売業者としての資格を失って、二一条一号或いは二号に該当しなくなるものと解されるから、このような場合、二一条八号の規定がないならば、これらの者は直ちに二一条違反とならざるを得ない。結局、二一条八号の規定は、残火薬の措置義務を負う者が、その措置義務を遅滞なく履行するまでの間、二一条一号ないし三号に該当しない者となっていることを論理上の前提としつつ、特にこれらの者の所持を許容するために設けられたものと解されるのである。

それ故、二二条により残存火薬の措置義務を負う者が、遅滞なく措置義務を履行しないのみならず、(放置するのを超えて)所持を継続するときは、直ちに二二条違反の罪と二一条違反の罪の両罪が成立し、両罪は観念的競合の関係にあると考えられるが、検察官が論告において指摘するとおり法定刑の重い二一条違反の罪のみで公訴提起することは、検察官の裁量の範囲内である。

同法二二条は、昭和二八年法律第五六号により、二一条四号、六号、七号該当者及び同条三号該当者中「狩猟法(昭和三八年法律第二三号による改正により鳥獣保護及狩猟ニ関スル法律に名称変更)第三条の規定による狩猟免許を受けた者で装薬銃を使用するもの」についての残火薬類の措置義務も規定するに至ったが、狩猟免許を受けた者については、狩猟免許の有効期間満了の日から一年を経過するまで猶予することとした。これは、狩猟を行う者に対しては、一つの猟期が終った際に直ちに残存火薬の処分を強制することは実情に即さないものと思料し、次の猟期に利用することを許す趣旨であると立法提案者の説明がなされているのであって、このように狩猟免許を受けた者も、その免許の有効期間満了の日から一年間を経過するまでに次の狩猟免許を受けることなく期限を超えて残火薬を所持し続けるときは、二一条違反の罪が成立するのである。

そして、狩猟免許(現行規定では鳥獣保護及狩猟ニ関スル法律第八条ノ三の規定による登録)を受けた者で装薬銃を使用するもののように通商産業省令で定める数量以下の火薬類を譲り受けるときには個別の許可がいらない者ですら狩猟免許の有効期間満了の日から一年を経過するまでしか残火薬類の保持が許されていないこととの対比からみれば、狩猟免許を持たず、一七条一項本文の規定により都道府県公安委員会(五〇条の二により読み替えている)の許可を受けなければ火薬類を譲り受けられない猟銃所持者は、猟銃の所持許可を失ったときに直ちに「火薬類を消費することを要しなくなったとき」に該当するものと解すべきである。

本件において、被告人がどのような内容において一七条一項の許可を受けていたか判然としないが、被告人が当公判廷において、猟銃を所持した五年間のうち、最初の一、二年しかクレー射撃をしていない旨述べていることからすれば、被告人が、昭和四八年八月三〇日に猟銃を手離した後は、遅滞なく火薬類を譲り渡し、又は廃棄すべき義務を負っていたものというべく、これを怠って故意に所持を継続すれば、二一条に違反するものといわざるを得ない。

そこで、被告人の故意についてみるに、被告人は、当公判廷において、「クレー射撃は、一、二年でやめてしまい、残火薬についてはそのころ押収時のようにしたと思う。クレー射撃をやめて以降残火薬を意識していない。」旨述べる。しかしながら、被告人があられ缶に実包等をしまったのが引越時より以前であったとしても(この点について、被告人がこれらを引越時にしたと明瞭に認めた調書は無い。)、クレー射撃をやめたという昭和四五、六年ころ、既に発泡スチロール容器の中に納入していたと認めることは、次の点からできない。

右の点をみるに、被告人は、当公判廷において、検察官から本件発泡スチロール容器、あられ缶、茶筒等を示され、発泡スチロール容器に実包、雷管等の入れてあったあられ缶と、無煙火薬の入れてあった茶筒とを置くと、その上部に相当広い空間が出きてそのまま荷物を運ぶには不適当であるからどうしたのかを問われた際、「引越しのときには、雑誌類、本類か何か、あるいは段ボールが載っていただろうと思います。」と答え、引越後、何故、上に何もない状態になったのかを問われ、「上に載っていた何かが、何かわかりませんけれども、それが必要になったからじゃありませんか。」と答えている。この答えと、被告人の司法警察員に対する昭和六二年二月二二日付(同月二一日取調)の調書中に、「火薬類の箱は、自分でロープを解き、階段下の物置にしまったのです。このとき一緒に入れてきた本などは出して別にして居ります。」との供述記載があることを併せ考察すれば、「引越時に火薬類のあることを意識し、発泡スチロール容器内に入れて梱包した上運んだ」旨の捜査段階の供述は十分措信できるのであって、被告人が故意に本件火薬類を所持していたことは明らかである。

以上の次第で、被告人の本件火薬類の所持は、火薬類取締法二一条に違反する所持と認められる。

三  違法収集証拠の主張について

弁護人らは、本件火薬類は、警視庁公安部警視若杉秀康の捜索差押令状発付請求に基づき、東京簡易裁判所裁判官の発した捜索差押許可状により被告人の自宅が捜索された際に発見されたものであるところ、令状発付の重要な要件である「必要性」と「押収すべき物の存在の高度の蓋然性」を欠いてなされた重大な瑕疵のある捜索がなされており、まさに令状主義を没却する重大な違法があるから、この違法な捜索により発見された本件火薬類は証拠排除すべきである旨主張する。

しかしながら、令状記載の押収すべき物が発見されていないといっても、本件火薬類は、令状に基づく適式な捜索の際に発見されたものであって、その押収手続は、被告人を火薬類取締法違反の現行犯人として逮捕した際、その現場での令状によらない捜索差押として適法になされたものと認められる。また、右令状に基づく捜索が、令状自体の執行の必要のためでなく、専ら本件火薬類を得る目的でなされたというような令状主義を没却せしめる違法のある場合でないことは明らかであるから、本件証拠物の採証手続にその証拠能力を排除すべき違法はなく、弁護人らの右主張は理由がない。

四  公訴棄却の申立について

弁護人らは、(一)本件火薬類発見のきっかけとなった捜索は、憲法の令状主義の精神を没却する重大な違法があり、(二)本件捜査は、被告人が革新的思想の持ち主であり、労働組合員であること等から報道機関に虚偽の情報提供をするなど被告人の社会的抹殺を企図してなされ、(三)本件事案が火薬類取締法二二条違反に該当する余地があるに過ぎず、仮に同法二一条違反と評価されうる余地があったとしても軽微な違法であって正式裁判請求の価値ありとはいえず、(四)捜索、逮捕、勾留を経て公訴提起に至る捜査当局の意図は、被告人に対する思想信条攻撃という個人の尊厳に関わるものであって、他の同種事犯と著しく取扱に平等を欠くこと等を考慮すれば、本件公訴は棄却されるべきである旨主張する。

しかしながら、本件犯行は、前述のとおり火薬類取締法二一条に違反するものであって、その処罰の必要性も優に肯定されるから、本件公訴提起が検察官の訴追裁量権を逸脱したものでないことは明らかであるので、弁護人らの右主張は採用できない。

(本件火薬類所持の目的、背景事情に関する検察官の主張について)

検察官は、被告人は長期間にわたって本件火薬類の性能の劣化を来さないよう配慮しながら、その所持を継続してきており、このことは、被告人が何らかの意図のもとに本件火薬類の性能の劣化を避けながら、その所持を続けてきたことを明らかに示している。また本件火薬類の押収時の状況は、本件火薬類が隠匿されていたことを示している。そして、被告人は過激派団体の一つであるいわゆる中核派と深い関係を有しており、被告人の本件火薬類の所持については中核派等の過激派団体による将来の武装闘争に利用する意図が被告人に存したと推認される旨主張する。

そこで、まず本件火薬類の保管状態について検討する。

本件火薬類は、前述のとおり、発泡スチロール容器に入れられ、台所の物入れ内に保管されていたものであるが、前掲証拠によれば、実包、雷管等の入ったあられ缶に巻かれたガムテープは、その状態からみて巻かれたときのままであると認められるところ、そのガムテープの端の切り口が、発泡スチロール容器の外側に残存するガムテープ片のうち一つの切り口と符合することが認められるので、右あられ缶に巻かれているガムテープは、昭和五五年三月の引越に際して巻かれたままであると推認される。このことは、被告人が約七年間あられ缶の内容物を点検していないことを意味する。

また、前掲証拠によれば、あられ缶の中に用いられているハンカチ、手ぬぐい等は、弁当箱を包んだ際についたしるの痕跡のあるものもあって、いずれも使い古しの物であり、無煙火薬の入れられた茶筒は、浜松の電話局番が一けたで表示されており、その形状からも使い古しの物であると認められる。このように使い古しの物を利用して保管していることは、これらの火薬類を将来の重要な用途に供する意図の下に保存したものと見ることの妨げとなる事情である。

なお、前掲証拠によれば、あられ缶の内容物は、昭和五一年以前に作られていないことの明らかな物は無いことが認められるので、あられ缶の中に実包類が納められた時期は、引越時でない可能性も大きいといわざるを得ない。

さらに、前掲証拠によれば、発泡スチロールの容器の上には、雑然と空箱が載せられていただけであって、他人の目を気にして見つかりにくいように細工したというべきものはないこと、被告人が、右物入内に不要となった空箱や、組立部品の欠けた本箱の棚を保管するなど整理や廃品処分に気を配らない傾向のあることが認められる。

これらの保管状況を併せ考えれば、被告人が、本件火薬類を漫然と引越荷物に加え、引越後も漫然と保管し続けたものと見ることもできるのであって、検察官主張のように、被告人が長期間にわたって何らかの利用意図の下に本件火薬類の性能の劣化を来たさないよう配慮しながら、その所持を継続してきたと認定するのは困難である。

次に、被告人と中核派とのかかわりについて検討する。

検察官は、被告人が、過去、特に昭和四四年から昭和四六年ころにかけて、何度か休暇を取得して東京に行き、中核派を中心とする過激派の各種集会、デモ等に参加していたと見られる旨主張するが、被告人は、検察官の主張する休暇の取得時期に高等学校教職員組合の集会に参加したことが多い旨公判廷において供述しており、この供述を覆すに足る証拠はない。また、被告人は数回東京の集会に参加したことがある旨供述するが、既に二〇年近く経過した過去の事柄であり、証人白鳥良香の当公判廷における供述によれば、右の時期は、全国的に反戦運動の高まりがあって、集会に参加しても過激派と結びつくことを意味するものと言い得ないことが認められる。

検察官は、被告人が中核派活動家である山口武及び岩政芳夫と深い関係を持っていた旨主張する。

この点について、被告人は、当公判廷においては「山口武は同じ英語の教員であり、同人に対する県教育委員会の懲戒免職処分に反対する高教組の仲間の会の代表になったことがある。昭和六一年一二月ころ、同人から電話で呼び出されて一〇年振り位で会った際、教員住宅を貸して欲しい旨の依頼を受けたが断った。一九八六年一二月八日付の前進及び武装一九八七年一月号等の押収物はそのとき受領したと思う。岩政芳夫は高教組でよく顔を合わせ、同人が懲戒免職処分を受ける前は付き合いがあった。ここ一〇年間位二人との付き合いは無いが、暮のボーナス時期にカンパ要請があったときは、職を奪われて生活の楽でない、かつての同僚に対するものとしてその要請に応じることもあった。」旨供述している。

被告人の右供述は、検察官の請求により取調べた証拠を総合検討しても覆すには至らない。

そして、弁護人の請求により取調べた新聞記事によれば、被告人が中核派の構成員ないしシンパである疑いの下に徹底した捜査がなされたことが推測されるが、被告人が自宅の捜索を受けることを予想していなかったのに(予想していれば火薬類を置いていないはずである。)、前述の機関紙以外には被告人宅から中核派の機関紙が発見されず、山口、岩政以外の中核派構成員との関係を推測させるものが見つからなかった(少なくとも証拠請求されなかった)ことからすれば、被告人が中核派の構成員で無いと認められ、その支援者であるとも認定し難い。

また、山口、岩政の両名から被告人に対する差し入れがなされていることを認むべき証拠があるが、これは、右両名から被告人に対する働きかけのあった証左であっても、被告人自身が中核派を支援していることを意味するものではない。

当公判廷において、被告人が、検察官から、被告人宅で押収された過激派の者から来たと考えられる手紙の意味内容を問われた際、「手紙なんていうものは、例えば、ほれた人間に手紙を出して受け取った人がそのほれた人間と同じ考えかどうかというのはわからないでしょう。そういったことを私に聞くというのはお門違いじゃないんですか。」と述べているが、これは「ほれる」という表現で被告人が中核派の者の働きかけに対して抱いている心情をたくまずに語ったものと受け取れるのである。

更に、その他の証拠を総合検討しても、被告人の本件火薬類の所持に特別な意図があったと認めることはできない。

(法令の適用)

被告人の判示所為は、火薬類取締法五九条二号、二一条に該当するところ、後記情状を考慮して所定刑中罰金刑を選択し、その金額の範囲内で被告人を罰金八万円に処し、刑法二一条を適用して未決勾留日数のうち、その一日を金四、〇〇〇円に換算して右罰金額に満つるまでの分をその刑に算入することとし、押収してある実包一一発(前同号の3の1ないし5)、銃用雷管一一〇個(同号の4の1、2)及び無煙火薬一缶(同号の5の1)は、判示犯罪行為を組成した物で、被告人以外の者に属しないから、刑法一九条一項一号、二項本文を適用してこれを没収することとし、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項本文により主文四項掲記の分を被告人に負担させることとする。

(量刑の理由)

本件は、被告人がかつて適法に所持していた火薬類を、廃棄又は譲渡すべき時点以降も漫然と所持し続けたという事案であるところ、その火薬類の量は、鳥獣保護及狩猟ニ関スル法律第八条ノ三の規定による登録を受けた者であって装薬銃を使用するものが一猟期内に許可無く譲り受けることができる量(登録の有効期間満了から一年間所持が認められている量。無煙火薬若しくは黒色猟用火薬合計六〇〇グラム以下、銃用雷管三〇〇個以下、実包三〇〇個以下)を超えるものでは無く、必ずしも多量といいうるものでないこと、その所持の期算は長期にわたるが、他の用途に利用しようとした形跡が認められないこと、前科、前歴が無く、長年教員として勤務して来たものであること等を考慮して罰金刑を選択した上、昭和六一年法律第五四号(昭和六一年一〇月一日施行)による改正前の法定刑をも勘案して主文のとおり量刑する次第である。

(公判出席検察官 三谷紘  求刑懲役四月)

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